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2008-05-29

風のたより VOL.944

夏ばぁちゃん

今日も、朝タクヤ君を送り出したきり、どこにも行かず、誰も訪ねてこず、ひっそりと過ごした。郵便物もなく、集金人もなく、電話すら掛かって来なかったもんね。こんな日が2日も続くなんてチョー珍しいね。でも、昨日嫌な負け方をしたタイガースは快勝、気分よく眠れそう!

しかし、日々のドーでもええことを大々的に書き連ねることをコンセプトにしている当ブログとしてはネタなしということで困る。しかし、面白ネタがなくとも、書きたいことは山ほどある。

今日は、夏野菜の植替えや施肥をしながら、なぜか夏ばぁちゃんのことを思い出していた。夏ばぁちゃんは、お袋の母親で、俺が生まれたとき生存していた、ただ一人の祖父母だ。俺が今、野菜など作ってみようかと思う原点は、夏ばぁちゃんの作った黄色いトマトにある。

瀬戸内海の西端に浮かぶ小さな島で生まれた俺は、中学1年までここで過ごした。おばぁちゃんっ子というわけではないが、俺はよく、くっつ付いて歩いた。特に畑にはよく行った。いろんな野菜を作っていたのだろうが、俺には黄色いトマトしか印象に残っていない。大きくてでこぼこしていて、決して姿形は美しいとは言えないが、甘くて美味しかった。田舎では、旬の野菜が毎日毎日、これでもかこれでもかと食卓に出てくる。今でも菜っ葉の煮付けが苦手なのは、もう一生分食ったと思うからだ。「なっぱ嫌や!」と大泣きしたことを覚えている。親の対応は明快だ。「嫌なら食うな!」である。

でも、この黄色いトマトだけは、毎朝毎朝、分厚くスライスしたものを食べ続けても飽きなかった。海で泳ぐとき、このトマトを港の中に投げ入れておく。他の子も普通に赤いトマトやキュウリを放り込んでいる。泳ぎ疲れたら、これらを集め波止場に車座になってかぶりつく。夏ばぁちゃんの黄色いトマトは人気で、真っ先になくなる。とても誇らし気分だった。

夏ばぁちゃんは、コーヒーが大好物だった。当時瀬戸内海の小さな島にコーヒーなんか売ってんかった。インスタントコーヒーなるものが出たのは、俺が小学校高学年ころだろう。でも、夏ばぁちゃんは毎日コーヒーを飲んでいた。それも今で言う缶入りのレギュラーコーヒー(多分Hill,sというメーカーだったと思う)だ。都会の一般家庭でもほとんどなかっただろうと思われる時代になぜと疑問に思われるであろう。

実は夏ばちゃんは、ハワイ移民として何年か暮した事があるのだ。その後、縁あって嫁いだ先が、台湾(当時、植民地として日本が統治していた)の網元だった。かなり裕福な暮らしぶりだったようだが、戦後は身一つで生まれ故郷の島に戻ってきた。命があっただけでも幸運というべきだろう。戦後の爪の先に明かりをともすような赤貧暮らしだが、コーヒーだけは毎日飲んでいた。ハワイ移民当時一緒だった遠い親せき筋の人が、毎年欠かさずハワイから送ってくれていたのだ。

コーヒーフィルターやサイフォンなどあろうはずはなく、茶がゆ用の茶袋に豆を入れヤカンで煮出していた。節約の意味もあったのか、今で言うアメリカンタイプの薄いものだったように思う。小柄な夏ばちゃんが、さらに小さく体をまるめ、コーヒーをすすり「うまいのぉ~」とほほ笑む姿を思い出す。

ハワイからのコーヒーが途絶え始めた。でも、このころインスタントコーヒーなるもものが、小さな島の雑貨屋さんにも並ぶようになっていた。我が家も、苦しい状況だったと思うが、お袋は工面して夏ばぁちゃんにコーヒーを届けていた。その届役が俺だった。

そう、俺は小さなころから夏ばちゃんとコーヒーを飲んでいたのだ。飲み過ぎてアホになったが、悔いはない。やがて俺も天国に行ったら夏ばぁちゃんに会えると思ったら、いい加減な歳で死ぬのも悪くない。

「夏ばぁちゃん、今度は天国でハルボンブレンドの美味しいコーヒーを淹れてやるからなぁ」なんて思っていたら涙が出てきた。夏ばぁちゃんは、俺の心の中では生きている。

コメント

夏ばあちゃん、粋なおばあちゃんだったんですね。
ハルボンさんのお母様がどうして台湾で過ごされていたのか、これでわかりました。瀬戸内海の海、夏野菜、コーヒーを飲むおばあちゃん・・・頭に映像を浮かべながら読みました。夏ばあちゃんがハワイでも移民生活をされていたというくだりを読んだだけで、なんだか”おおらかな人”という感じがしますね。ハルボンさんもその血をしっかり受け継いでらっしゃる気がします。

コーヒー好きと言えば、私もほとんど中毒と言ってもいいくらいに、コーヒー好きです。大きいマグカップに一日5杯くらいは飲んでると思います。特にこだわりもなく、コーヒーなら何でも飲みます。最近、台湾もコーヒー豆栽培が盛んなんですよ。日本でもいつか台湾の豆が店頭に並ぶときがくるといいなぁ。

お袋は、日本人なのに台湾で生まれ、当時朝鮮で薬局をしていた親父のところに嫁ぎ、3人の子供を産み、終戦後引き揚げ、初めて日本で暮らし始めたということになります。
そして俺が生まれました。4人兄弟で日本で生まれたのは俺だけということになります。
激動の昭和を生き抜いたある家族の物語ってところですね。

なかさん!
淡路島に来たら、まずハルボンブレンドの美味しいコーヒーを飲みに来てください。