故郷へ沖家室島

故郷と言っても、そこに住んでいたのは小2までで、その後は父の勤めの関係で近くの島を転々とし、中学からは一家挙げて大阪に移り住んだ。大阪に居ても両親が生きている間は何かと故郷との繋がりはあったが、二人とも亡くなるときっぱり疎遠になった。現在は近い親戚縁者もなく、幼馴染との交流も途絶えているので、もう足を踏み入れることは無いだろうと思っていた。しかし、TV放映(VOL39参照)を観て、もう一度生家から海を眺めてみたいと強く思った。

島に架かる橋9月28日早朝、生まれ故郷、山口県大島郡東和町沖家室島を目指して出発した。コンセプトは「故郷の海で夜釣りをしながら中秋の名月を眺める」だ。往きはあえて四国に渡り「しまなみ海道」を経て尾道へ出て、山陽自動車道を西にひた走り、山口県の大畠から周防大島への橋を渡り、最後に沖家室島への橋を渡るコースを選んだ。淡路島から山口県の小さな島に一度も船に乗らないで辿り着けるのは、島で生まれたものにしか解らない感動であろう。しまなみ海道の7つの橋を含め、10もの「海に架かる橋」を渡ったことになる。改めて凄い事だなぁと思った。

島についてまず記念写真二十数年ぶりの島は、思っていたよりはるかに小さかった。なのに更地になっているとはいえ、生家跡が中々分からず惑った。付近の住宅は大半が自然崩壊しかかっており、過疎の実態がそのまま目に見えてとても哀れだった。しかしこの島は長寿の島としてつとに有名で、テレビ、新聞などに取り上げられたことは数知れず、俺が到着したときもどこかのTVクルーが収録中だったし、帰ったあくる日は泊まった民宿の主の父親が「めざましテレビ」に出ていた。本家筋のお墓に参り、島唯一の民宿に入ったときは日もとっぷり暮れていた。夕食をすませ、釣りをする予定だったのだが、台風21号が接近しており海は大荒れ、雨まで降り出した。釣りも名月もあったもんじゃない。俺は稀代の雨男なのだ。宿に閉じ込められる状態になったが、主が非常に博学な男で、とれとれのお刺身を頂きならなが、俺が住んでいた頃のことから、柳原一族のルーツを数百年前まで溯って話してくれた。釣りは出来なかったが思わぬ収穫であった。

あくる日は午前中島を歩き回り、お昼に出発し、帰路途中の尾道に一泊する予定だった。ところが台風は夕刻広島上陸が確実らしい。2泊目の宿も閉じ込められるのはアホらしいのでキャンセルし、朝食後、急遽帰路につくことにした。出発しようとした時、YT夫人から「こっちはもの凄い雨よ!そっちは大丈夫?」と電話があった。YT家にはワンワン協定で犬の散歩をお願いしてあったのだ。規定料金に破天荒手当てを出さんならんなぁ。台風に追われるように山陽自動車道をひた走ったのだが、秋雨前線を刺激したとかで播州赤穂付近は10m先が見えないほどの土砂降りだった。夕方4時過ぎにやっと淡路島に帰り着いてテレビを観ると、山陽自動車道の一部と明石海峡大橋が通行止めになったと報道されていた。ぎりぎりセーフ!躊躇せず早朝故郷を出たのが正解だったようだ。しかし、家を出て帰り着くまでの31時間中、18時間(休憩含む)車を運転していたことになる。あ〜シンド!稀代の雨男としての面目躍如たるところだ。う〜む、我ながら情けない!

パテシエのいない喫茶部

おいしそうなタルト10月2日(土)3日(日)は女房がどうしても大阪の実家に行かなくてはならず、ケーキを焼くことが出来ない。一人ではしんどいし、喫茶部は休もうとも考えたが、休業の看板を出しても俺が居れば「喫茶部休みやったらコーヒー只やろ」と押し入ってくるのがいるので、一応開けておくことにした。当日、開店少し前に、地元工務店のHR夫人から手作りドーナツが届いた。彼女のドーナツは、一口大ボール状で、白ゴマがたっぷり入っていて、それは美味しい。コーヒーのあてにぴったりだ。こんなに大量にドーするんだというほどあったが、みんな「美味しい。美味しい」とドンドン食べる上、勝手にお土産に持ち帰る者までいて瞬く間になくなった。地元の常連ABチャンは、チーズケーキ(5ヶ)持参で一番に現れた。最初から洗物などの手伝いをするつもりで来たようだ。常連の夫人方も、飲み終わると自分と周りの人の食器を台所まで運び、さっさと洗って帰っていく。俺はいつもより楽チンなほどだ。明くる日は、HR夫人がまたまた大量のホットケーキを持ってきてくれた。地元のABチャンもまたまた一番で来てくれた。地元のKDさんも「私ウエイトレスする」と現れたが、年齢制限があるので、台所に回ってもらった。こんなことで難なく2日間を乗り切ることが出来た。女房の代わりはいくらでも居ることも判明した。ハルボン倶楽部・喫茶部は集っている者みんなで運営していると実感できて、俺はしみじみとした感動を味わった。 10月30,31日も同じ状況になります。皆さんよろしく!

健康診断は体に悪い

10月5日、町の健康診断を受けた。俺は不眠症、アレルギー体質(蕁麻疹)、便秘症、イボ痔、慢性腰痛、歯周病、白髪ハゲハゲ症など持病が多いくせに職場の義務的健康診断すら逃げ回ってきた。自覚症状があれば病院にも行くし、健康にはそれなりに気を使うのだが、ワザワザ自分から病気を見つけに行く趣味はない。今回行っておこうとなった理由はさておき、そこでバリュウムというものを初体験したのだ。どろどろの石灰水のようなものを飲まされ吐き気がするのに、宇宙飛行士訓練機のようなものに閉じ込められ上下左右一回転と振り回した上、「ゲップしたら駄目と言ってるでしょう」と怒りよる。検査後、便秘症のため通常の2倍くれた便秘薬を飲み「こんなん健康な者も病気になる」とブツブツいいながら帰ってきた。

やっと横になれると思ったら「これから卓球部やで」と女房の声。ヘロヘロで卓球をしてヨロヨロで戻ったところに「主人がパンを焼いた。すぐ食べに来なさい!」とIS夫人(宇宙人)から電話。「なんでこんな日に」と思いつつIS邸に這って行く。御主人は元判事で姿かたち、たち振る舞い全てこれ「法律」といった人で、パンを焼くことが唯一の趣味だという。彼については、いつか別枠でその具体的な生態について書きたいと思っている。日本一喧しいナースをして「あの人には全く太刀打ちできない」といわせるIS夫人のおしゃべりは別格である。焼き立てのパンがテーブルに並び、「コーヒー入れますね」と言ってポットを持ったまま2時間喋る。俺だったらその間「昼飯食って、お昼寝して、庭の草抜きして、3時のお茶してらー」と思いつつ恐ろしくてそんなこと言えない。とても体に悪い健康診断の一日であった。しかし、IS氏の焼くパンは外側は香ばしく中はふわふわで、昔懐かしい味がする絶品だ。しかしほんとにパンだけだったので食べ辛かった。次回はトルティージャとカマンベールチーズを持参して一緒に味わいたいと思う。

優勝したAS夫妻第一回卓球大会

10月10日(日)、表題の大会が催された。男子10名、女子8名の参加があり、熱戦が繰り広げられた。女子の部は、低いレベルながら実力伯仲で誰が優勝してもおかしくない状況だったが、勝ち上がったのはAS夫人(日本一やかましいナース)であった。口先で勝ったと思われるでしょうが、笑いをとろうなどの余裕もなく必死の面持ちでやっていたのですなぁ。さて男子の部は発足当時よりかなりレベルアップしており、結構激しいラリーが繰り広げられ、勝ち上がったのがAS氏だった。優勝祝賀会なんと夫婦で優勝を掻っ攫ったのだ。参加者全員のヒンシュクを買ったのは言うまでもない。

しかし、平均年齢60歳ほどの卓球大会を自力で開催できるのだから大したもんだよなぁ。コマロは大阪まで出向いて優勝カップを調達してきた。ジュリーは大会ルールを成文化、印刷して全員に配布した。コマロ夫人とジュリー夫人は少ない予算で賞品を買い集め、一つ一つ丁寧に包装してくれた。俺はトーナメント表(敗者復活戦含む)を作成した。所用で参加できなかったYT夫妻は密かに得点板を作成してくれた上、その夜の優勝祝賀宴会も自宅を提供してくれた。ナーンもせんかったAS夫妻が優勝した。我郷の人々は真剣に遊ぶ!

台風23号

俺の住む分譲地の麓で土砂崩れのため一人名亡くなった。「津名町里の・・・」と住所がテレビで報道されたため、たくさんの人が心配して電話をくれた。本当にありがたいことだ。

台風上陸前日から降り出した激しい雨は台風が過ぎ去るまで丸々2日間降り続いた。ここ何年かで最も土砂災害の起きやすい状況だと繰り返し報道されていたが、まさにその通り、我分譲地内でも、10箇所ほど土砂崩れがあり、ほぼ2日間陸の孤島状態にあった。津名町の市街地や洲本市の被害を新聞やテレビで知るにつけ、ほとんどが斜面に家が建っている我郷内で人体・家屋に被害がなかったのが不思議に思える。この文を書いているのは10月23日の夜だが、淡路島の被害の全容はまだ掴み切れていないと言う。そして新潟では、大地震が起きているらしいとテレビがいっている。度重なる台風に大地震、単なる偶然か、異常気象の始まりに過ぎないのか、得体の知れない不安感が漂う。