劇画単行本「色歌」勝手に応援団色歌 表紙

近所の彫金師OS女史が何冊かの本を持って現れた。淡路島在住作家ばかりの作品で、その中の一つが

「色歌」作者:新伊秀策、発行元;講談社、533円

だった。 持って来たのだから置いていくものだと思っていたら「コレだけは買いなさい」と持って帰った。 一部でもたくさん売れるようにと彼女の配慮なのだろう。ご当地作家ということもあって洲本市の本屋には平積みしてあった。早速買い求め、劇画本なんて久しぶりやなぁとひもどいた。本の帯に「古代中国を舞台に描かれた七つの短編、その物語は心を色づかせる。弾ける才能!新伊秀策、デビュー作!!!」とあるように、若い作家(30歳)にしては時代背景も題材も古めかしいのだが、結構面白かった。56歳のオッサンがウルウルする場面もあった。メジャーデビューした淡路島出身在住有望劇画作家に会ってみたいもんだ。なんて思っていたら5月1日の喫茶部に本人が現れた。新伊秀策氏との写真(写真前列左側)新進作家といった気負いも気取りも全く感じられない温和な爽やか男だった。そんなこともあってより思い入れも強くなり、俺はBBS仲間に宣伝しまくった。どんなに優れた作品であろうが、人には好みというものがあるのだから押し付けてはいけないのだが、押し付けまくったった。次回作に弾みをつける意味でもたくさん売れて欲しいからだ。俺の勧めで買ってくれた人、ありがとう。まだの人、即刻買うように! 次回作は東洲斎写楽をテーマにしたものらしい。乞う御期待!

人生を想う人形人生を想う人形

人形作家MZさんとは、これまで何度か会っているのだが、特に親しく口を利く間柄ではなかった。5月15日、ふらりと喫茶部に現れてから急速に距離が縮まり、17日には彼女の自宅を訪れた。こんな人確かに居るよなぁと思わせる存在感ある人形に感動した。本体は勿論、着せる服、帽子、靴まで一人で製作するのだそうだ。生地などもあえて古着のシミのあるところを使うなど、細部までこだわっている。写真は「私の人形作りの原点だ」という作品です。初めて納得いくものができたと言う。山に生まれ山に育まれ、山の恵で生きてきた爺さんが、老境にさしかかった今何を想っているのだろう。イマジネーションがドンドン膨らむ。例によって厚かましく「コレをしばらく我家に展示させてくれ」と借りてきた。考えてみれば我家に展示してある作品はほとんどが借り物だ。YT氏のガラスエッチング、Miyokoさんの陶板画、KDさんの文化刺繍など数ヶ月単位で本人が取り替えたりもしてくれる。折角の作品なのだから、物入れに眠っているよりは、少しでも多くの人の目に触れる方がええやんなぁ。 人形もさることながら、俺が驚き感動したのはMZ邸の立地だ。県道は直ぐ下なのに周りに人家のない高台で、播磨灘を180°見渡せる。夕日がたまらんだろう。平坦300坪の敷地の半分が菜園になっている。これぞ俺の理想だった。木工が趣味のご主人の工房や材料をストックする納屋もある。今俺が一番欲しいものだ。震災後建てた家屋にはナナナント、憧れの薪ストーブが設置してある。俺が長年思い描いてきた風景がそのままそこにあった。こんなことってあるんや!俺はしばし絶句していた。

TN氏喜寿祝賀宴会いっちゃん&ナース夫妻の麦畑

喜寿祝賀宴会集合写真4月29日我郷の長老(新しく来られた方が上なので、正確には2番目)TN氏の喜寿祝賀式典&宴会が催された。TN氏は「羽織袴でいくんだー」喚いていたが、結局スーツ姿で現れた。祝賀式典は3分で終わり、いつもの宴会へ突入と思われたが・・・。某会社の保養所だった建物を借りたので、広々としている上、広い舞台もあった。TN氏カラオケコレを我郷の連中が見逃すはずもなく、すぐさま演芸会へと突入した。カラオケは勿論、YT氏の落語なども飛び出す。俺も「釜山港に帰れ」をとても上手に歌ったので花束(花瓶から抜いただけ)が贈られた。いっちゃん&ナース夫妻も定番「麦畑」を振り付けで熱唱(写真)、やんやの喝采を浴びていた。 う〜む、アホだ。当のTN氏も絶好調で、夫人とお手々つないで熱唱(写真)したかと思えが、コマロ氏と絶妙の掛け合い漫才を演じ、女性が歌えば必ず寄り添っていた。 う〜む、長く生きてるとこうなれるのか。 夫妻からは出席者に紅白饅頭+緑饅頭3個セットが贈られた。金婚式のお祝いも兼ねているんだって。余った饅頭は舞台に立った人へ参加賞と言って夫人が渡していた。次回ココで宴会する時は一人一人が出し物を用意してくることを決めて、目出度くお開きとなった。あ〜、楽しかった。

第3回「海平歩こう会」→「アトリエ風゛ぶう」襲撃海平歩こう会集合写真

第3回「海平歩こう会」(5月12日)は俺が世話人だ。朝目覚めると正に快晴「もう雨男とは言わせない」と鼻の穴を膨らませた。時間が来て「さぁ集合場所へ」と外を見ると「なにぃ? 雨やん」。出発に合わせてきっちり降っている。俺の頭は60°にうなだれた。しかし中止するほどではないので、耳栓さえしていけばなんとか乗り切れるやろ。気を取り直して出発。 総勢16名、怪しい新興宗教団体と化した我々は、霧雨のなか車1台やっと通れる山道を歩き始める。足の悪い人もいたので、ゆっくりゆっくり歩いて「アトリエ風゛ぶう」まで30分。雨の中を歩きましたぶうさんが出迎えてくれる。荷物と足の悪い人を置いて、もう少し先の伊勢森神社まで歩く。引き返すころにはかなり雨脚が強くなっていたが、何とかアトリエ風゛に辿り着く。庭でバラを鑑賞しながらお弁当を使わせてもらう予定だったが、どどどっと屋内になだれ込む。お弁当はオムスビと御新香だけと厳しく通達してあったのに普通のおかずを持って来た者がいた。キツク叱責しようと思ったが玉子焼きをもらったのでやめた。ぶうさんは讃岐うどんを茹でてみんなに振舞ってくれた。アトリエぶうでの食事実はアトリエ風゛では、あくる日から3日間、オープンガーデンの予定であった。準備でてんてこ舞いしてたのだろうが、まぁ災難と諦めてもらうしかない。敷地内に約70種のバラが植えられており、この頃は30種ほど開花していた。期間中俺は、ウォーキングに参加できなかった人達を伴って2度訪れ、手作りのアイスクリームやケーキをいただき、いい時間を過ごさせてもらった。(写真) ぶうさん、ありがとね。また、映画会しような。

巨大ツツジと幻のきな粉豚ツツジをバックに記念写真

夕日の家MT夫妻のお誘いで、徳島県高越山船窪高原の巨大化したオンツツジの群生地を見物に行った。標高千mの地に樹齢300年前後、高さ5,6m、一本の樹の広さ6畳程度というオンツツジが1200本ほど群生している。丁度満開期でそれは見事なもんだった。平日にもかかわらず大勢の人が訪れていた。櫓のような展望台があり、登ると新聞記者が写真撮影用の脚立を立てていた。MT夫人は「チョット登らしてナ」と脚立の上からツツジを眺めている。その後女房共々なにやら取材を受けていた。タイガースファンたるもの読売新聞とは関りを持ちたくないので俺は離れていたが、あくる日の徳島版に載るかもしれないと言っていた。確認はしていない。 山を降りてうどんを食べ、近くの脇町にいった。ここは「うだつのある町並み」で有名らしい。「うだつ」とは「うだつが上がらん」の「うだつ」である。俺達4人は保存された町並みを歩きながら「うだつなんて上がらんでエエよな。うだつなんて上がっとったら忙しゅうてカナン。貧乏でも暇でのんびり生きた方がエエよな」と話していた。 徳島市から鳴門市に向かう帰り道、国道沿いに「幻のきな粉豚トンカツ!」と大きな垂れ幕が掛かっていた。うだつのある家「あれ何やねん?」ということで車内は大盛り上がりだった。きな粉を食べた豚なのか。きな粉食べさせるんやったら直接大豆を食べさせたらエエやないか。きな粉をまぶしたトンカツなのか。それやったら幻の豚とはいわんやろ。よ〜し、今度は幻のきな粉豚を食べにこよう!ほんで面白看板をいっぱい見つけて一軒一軒訪ね歩くことにしようではないか。 う〜む、このチームは学術的探究心に溢れている。 写真:二階の軒下に突き出しているのが「うだつ」