第二期5ヵ年計画スタートこの景色を守るために無理してしまった

淡路島に移住して5年、どれほど楽しかったかは、この「風のたより」を見てもらえばわかる。無職無収入のオッサンが、あまりにも楽しそうに暮らしているのが奇異に映ったのか、幾つかのメディアに取り上げられ、マヌケ面を晒したりもした。2,3日前も東京のテレビ番組制作会社(「伊藤家の食卓」など手掛けているそうだ)から打診があった。俺は大抵の事がそうであるように「別にかまへんよ」と返事したのだが、女房は「これ以上テレビなんどに出ていたら、ただの変態性露出症や」と鋭い拒否反応を示した。俺も変態であることは隠したいので丁重にお断りした。 単に家庭内力関係の表れともいえる。

ンなことはさておいて、移住当初は、折角早期退職したのだから、仕事をするエネルギーと情熱をもって遊んで暮らそうと意気込んでいた。とりあえず5年間楽しめたらこの移住計画は大成功で、その後は大阪に引き揚げてもよいし(家は残してある)、またどこかに流れていくのもよしと本気で思っていた。しかし、5年の歳月は瞬く間に過ぎ、あまりにもの居心地の良さに、終の棲家とする方向に気持ちは固まっていった。その意思の表れが隣地取得による第二期5ヵ年計画なのである。デッキ工事

その第一歩である一挙三得デッキが、海側斜面にまもなく完成する。せっかく景観を永久確保したのだから、チヨットした展望台が欲しかった。コレが第一義だ。庭とデッキは「つらいち」なので、庭が少し広くなり、恒例の愛と真実のご近所宴会バーベキュ編やお月見会など多人数の野外宴会もチヨッピリ楽になるのが第二義。そして、デッキ下を倉庫として活用できるというのが第三義だ。コレまでの暮らしで、絶対必要だと思っていたのが納屋(倉庫)だった。今は、大工道具、農機具、園芸用具、バーベキュ用具、長期保存できる根菜、味噌ダル等々置く場所がなく、家の周辺にゴロンゴロンしているのが実情だ。これらを収納し、かつ簡単な大工仕事くらいは出来る工房的なスペースが欲しくてたまらなかった。デッキ工事はプロに任せるしかないところまでしてもらい、床面、フェンスの塗装、スノコの設置、基礎下の板囲いなど、この先は全て自力で完成させていくつもりだ。デッキだけでなく、斜面に階段を作り、花壇や菜園に整備していきたい。燻製釜を作りたいという夢もある。これらのことを5年くらいかけてボチボチとやるつもりでいる。

なんてことは表向きの話で、裏では密かに怪しい秘密基地造りが着々と進行しております。BBSの方では「お泊り専用の部屋を作れ」「薪ストーブとエアコンは絶対いれておけ」など好き勝手喚いている輩がいるが、諸君、安心しなさい、抜かりはない。何気なくおいてある玉葱保存用ケースを移動してみなされ、そこには地下へ続く階段が・・・・

第三期10ヵ年計画の展望 第二期5ヵ年計画が順調に終了したなら、俺は62歳になっている。終の棲家であるから、続けて第三期10ヵ年計画がスタートすることになる。この頃には、喫茶部もこのホームページも廃止していることだろうし、ご近所宴会も今のように頻繁には行われていないだろう。一人遊びも出来るオッサンになっておかねばならない。第二期5ヵ年計画は、雨が降らない限り日中は庭で活動できるようにするためのインフラ整備だとも言える。第三期の10年間は、敷地いっぱいに四季折々の野菜、花、樹木が生い茂っている状況を作り出すための作業に没頭するのだ。時折、収穫祭や花を愛でお茶する会、ランチ会などやっていけたらと思っている。燻製作りや陶芸など、コレまでしたいのにやりそびれていたことにも手をだしてみたい。本当はBBSの対応で精一杯なんだけど・・・

第四期おまけ年計画の展望 さて第三期10ヵ年計画が終了すると、俺は72歳になっている。ここまでは何とか生命体として淡路島に生息していたい。以降何年生きるのか分からないが、コレはおまけの人生と考えている。俺は子どもの頃、おまけが欲しくてグリコキャラメルを買っていた。おまけの人生にこそ愛と真実があるかもしれない。75歳を越したら変態エロジジイになってやろうとも思っている。う〜む、楽しみだ。

ハルボン日記

ハナちゃん勉強してますハナちゃんの合宿(7月31日〜8月6日) OM家のハナちゃん(小3)が、一人で一週間ほどお泊りに来た。考えてみれば元小学校教師2名を擁して宿題合宿をしようというのだから贅沢な話だ。初日の晩、女房とハナちゃんは長い時間かけて計画表作りをしていたが、そんなもん2日で脆くも崩れ去った。でも、ハナちゃんが居なかったら絶対に行かないであろうプールや遊園地に行ったり、3食子ども中心のメニューを作ったり、我々夫婦にとっては孫を預かったときのシュミレーションを経験出来た。ゆいかばあばが言っていた。「孫は来るも良し、帰るも良し」けだし名言!

マンマ・ミーアビュティー4、大阪へ(8月10日) コマロ夫人、YT夫人、ジュリー夫人(花ちゃん)、ウチの女房のビューティ4(ヘビー級)が、劇団四季の「マンマ・ミーア」観劇に出かけた。大阪は4人共住みなれた街なので珍しくもないだろうに、お昼はどこで何食って、観劇後夕食はどこで何食ってと、オノボリサンのごとくはしゃいでいた。帰り、俺は津名のバス停まで迎えにいったのだが、未だ興奮冷めやらぬ様子で「最後は全員総立ちで、お尻振り振りダンスしてんで!踊って見せたろか?」と、今にも車中で踊りだしそう。俺は恐怖に顔を引きつらせながらも丁重になだめた。考えたらこの4人全員50代やのに、こんなに楽しんだのなら1万円以上する入場料も高くはないのかなぁ。しかし、このビューティ4は6にも7にも増殖しそうで俺は怖い!

カラオケグッズをかけた私第1回カラオケ演芸会(8月13日) 我郷の長老TN氏の喜寿祝賀宴会で借りた会場は舞台があって、大いに盛り上がった。(VOL.53参照)「こりゃエエで!」ということなり、カラオケ演芸会をすることになった。例のナースは、どこからかカラオケグッズを買い求めてきて、シャイな俺にこんな格好をさせた。
俺は
1.「大阪で生まれた女」をカラオケで熱唱する。
2.「北の国から」をオカリナ演奏する。
3.「淡路島の歌」(オリジナル)をギター弾き語りする。
の3つのオプションを用意し、くじ引きで一番に当たったので「3」を選択した。みんなでカラオケ心を込めて歌ったが、だ〜れも聴いてなかった。全員自分の曲探しに、リストと首っ引きだった。俺が歌い終わったのに気付いた数人のパラパラ拍手が、白々とした空気をより寒くした。かなりアルコールの回った後半には、YT氏が和服に身をつつみ落語を一席語ったり、ビューティ4が7にも8にも膨れ上がり踊りまくって大騒ぎしていたが、俺のテンションは上がらずじまいでお開きとなった。もう立ち直れないと思っていたが、8月27日の反省会という名の宴会では、なにやら5曲連続歌いまくりというのをやっていたそうな。意外と早い立ち直りだった。

台風の日のタイ風カレー(8月25日) 8月20日は「ビアガーデン風の家」、別名「恐怖のオバハンフラダンスビアガーデン」の最終日だった。この日は「SAVVY」でハルボン倶楽部を紹介したという「キューン・カフェ」のオーナー夫妻がきて、初めてお会いした。2人とも30歳そこそこで、夫人はメリハリの利いたスレンダー美人だった。店ではアジアンテイストの料理が中心と聞いたので、早速食べに行った。丁度台風の日だった。グリーンカレー(タイ風カレー)は、辛さが程良く、大変に美味しかった。温泉卵サラダ、ミニミニデザート、コーヒーが付いて800円は立派である。月一行こうと思うランチの店がまた増えた。

アコウアコウ記念日(8月29日) いつもの釣り場に一人で入った。4月以降、大漁もないがそこそこ釣れる状態が続いていた。しかし、この日は潮も動かず、一時間以上当たりもなく、魚のいる気配が感じられなかった。そんな時初めての当たりで揚がったのがこの魚である。オレンジ色の斑点、ヌルヌルの表皮、ガシラとちがって細面・・・ななななんと、これは瀬戸内では幻の魚といわれる「アコウ」(正式和名「きじはた」)でかないか。ライトで照らして何度も確認するが、まず間違いないだろう。根魚釣りを始めて18年、これまで約1000回釣行を重ねているが、初めて釣り上げた魚だ。夜の波止場で30pにもみたない、たった1匹の魚を眺めて「うひっ、うひひひ!」とニヤついているオッサンは、かなり不気味だろう。あまりにも嬉しさに、急遽8月29日を「アコウ記念日」に制定することにした。ハルボン倶楽部関係者は、来年から各自休暇をとってお祝いしてください。アコウの刺身はしっかりした歯ごたえとほのかな甘みのある上品な味でした。超高級魚といわれる所以を激しく納得した。俺の釣りの歴史に輝かしいページが加わった。
俺の根魚長寸記録
メバル28p、アコウ28p、ガシラ30p、ソイ33p
 (波止場からに限る)